2024-04-15 ■ 蜘蛛の糸のお話、あれは自らの欲によって切れてしまったとは思えない。 あれは誰もが内面に持ちうる、慈悲の象徴であった。 誰をも救う可能性を持つ糸だったろう。 ただ自らのそれと気づかず、その救いの糸の強さを信じきれなかった瞬間それは切れたのだ。 きっと誰もが思う。自らは救われたい、と。自然なことだ。 ただそれは、それすら取り去った、気付きもしないその先にあった。 私達はその手にあるものを自ら断ち切ってはいないだろうか。 だとすればお釈迦様も残念に違いない。