こねこねこねこブログにゃ♪

幸せそうな猫を見てると ちょっと幸せ。

蜘蛛の糸のお話、あれは自らの欲によって切れてしまったとは思えない。

あれは誰もが内面に持ちうる、慈悲の象徴であった。

誰をも救う可能性を持つ糸だったろう。

 

ただ自らのそれと気づかず、その救いの糸の強さを信じきれなかった瞬間それは切れたのだ。

 

きっと誰もが思う。自らは救われたい、と。自然なことだ。

ただそれは、それすら取り去った、気付きもしないその先にあった。

 

私達はその手にあるものを自ら断ち切ってはいないだろうか。

だとすればお釈迦様も残念に違いない。