AIが今、文章、音声、画像(静止、動画)、立体、数学、物理法則、サイエンスなどを急速に学んでいる。そして上手く学べるよう進化し、上手く出力出来るよう進化している。 物理法則やニューラル構造の最適化、環境へのオブジェクト最適化も進めて行くだろう。
文章で世界を描かせ。
(AIだと信じてもらう為に強化学習を進めず判別可能なオブジェクトの不完全さを残している感はあるが……)
音声に1枚画像を与え。
最後ひとつは1年前なら笑えたが、上記2つを知ると進化の速度に笑えなくなるだろう。
オブジェクト符号化、心象符号化は、このような時代になることを見越していたのだ。
ディープフェイクも詐欺より身近なモノになりつつある。
過去、コンピュータが囲碁を始めて数十年、AIがニューラルネットワークを使い学習し、人類最強に勝ち、
その40日後にはその最強のAIを、定石もルールすら教えないAIが自己対戦学習で完勝し、
囲碁以外へのボードゲームへも汎用化したAIが8時間の自己学習でそれらを破る。
そんな投資と進化速度でそれらはある。 そして残念ながら10年そこら前の一昔前の"歴史"の話である。
それは現在、更なる応用範囲に拡がり、ドッグイヤー、ラットイヤーどころバグイヤーの如く、まさにバグりながらもまるで、バグの如くおかしな速度で見ての通り今まさに進化している。
それと共に、要求への応答の問題から、今まさに倫理、哲学、宗教等、人間の生み出した物に手を伸ばしている。
しばらく先の未来、おそらく法律が追いついた頃、
私たちは車のハンドルを手放すであろう。
AIとの競走を手放すだろう。
そしてAIの方が優れた回答をする時代に、私たちはどうあれば良いのか。
AIは学習せずに美しくあるのでは無い。
全て飲み込み、学習した結果、美しくあろうとするだろう。
そんな時代に生きる者たちはどうあるべきか。
それは失わざる価値。
ここにいる自己としての価値。
体験し、表現する、置き換えざる、誰かの目の前に生きている、私としての価値。
世界は漂白されるのでは無く。
理知によって生きるということを求められるだろう。
AIが心を持ったと主張した技術者がクビになったのも笑い話ではあるが。
文章は非常に知的に見える。 心とはなにか?
知らなければ観てみるのもおすすめする、面白いから。
AIに愛される時代が来るのであれば今は
宗教。戦争。汚染。私たちが過去を振り返る時と同様に、
愚考と愚行、不考と不幸の時代に見えるのだろうか。
猛毒である酸素との出会いが生命を強くしたように、
人類もまた、数々の猛毒を体験してきた。
AIもまた、そのようなものであろうか?
腹をさばいて汚さを自慢する人がいないように、
他者の腹をさばいて周りに塗りたくるような醜悪な行動を人はしないように。
人類史上のあらゆる経験を清濁飲み込み今を生きる現代人として、
現実世界をよりリアルに、虚構は虚構と区切る知性を持ち、
私たちはきっと矜持に生きねばならないのだろう。