天は等しく雨を降らす。
ならば、どの地に居るのかも。
この身に降り注ぎ、何想うかも。
その身にて選び給え。
等しくそれらは愛である。
私は人の身にて、人の愛を取り出して直接見たことはありません。
ですが感じることは数多あるのです。
ですから愛とは何かを想うのです。
目も、耳も、口もきけず、無知蒙昧であろうとも。その身に何も持たずとも。
誰もが憎む相手にも、公平に与えれられるものがある。
それは体温である。
それは”手あて”なのかもしれないし、寒さの中の寄り添いであるのかもしれません。
与えることかもしれませんし、受け取るという事かもしれません。
それは真心が理解も出来ず、上手く受け取れずとも、自然に伝わるものでもあります。
だからこそ触れるということは、愛たる最大の存在だと思うのです。
私達はきっと、愛を持って触れることもできましょう、
されど触れることを愛と出来ねばとも想うのです。