都市構造の根源的本質には、流れる力を留める滞留力とでも言うべき力が必要なのではないか。
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梅干し味の飴あるのに、バニラアイスの組み合わせに梅干し味は無いな。 塩バニラもあるのに。
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救いの内に在るのに、救おうとか、理解したいとか。
苦を手放せもせぬ哀しさよ。
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
全身の瘡蓋を剥き取るような痛みに読む人によっては恨まれるだろう。
零れ落ちる魂の臓腑を血と共に掬い上げねばならぬ所業となるに違いない。
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人の痛みをわかる人になれと人は言う。
でも分かろうとする人ほど心をすり減らし、五感すらを壊し生きる実感すら解体してしまう。
寄り添うとはどういうことか。
生き物って強かでさ、意味無く生き残れる強さを内に秘め、世界に合わせて、壊れてでも足掻き生きようとするものな……。
だから今、表現出来る思いを記述していこうと思う。
愛は注ぐ対象に向けてあるのでは無く、内に在る存在として外に注ぐに過ぎないのだから……。
歪んだ鏡に、奇麗に映そうとする滑稽さ。
歪みを通しての傷の自己観察など安全なものでは決して無い。
傷口から目が離せない事と、傷口を好きかどうかは全く別の事柄で。
他人はベタベタと、そしてそんなに傷が大好きかと殴り付けてアザ笑う。 幾重にも幾重にも。
例えば、ある種の自傷行為は、死にたがり、他者依存等ではなく。
生きる上で作り出された自己肯定として、死にたいという、究極の極限にある、気持ちの自己肯定。そして死ぬのは怖い。と思えることの再確認なのだと感じ取れる人がどれだけいるというのか。
業火に身を投じて生かさざるをえない状況を理解し寄り添えるものがどれだけいる事か。
過去の思いを、記憶を。
間違っているとすれば、それは、そうであらねばならないという、その気持ちで。
記憶を、どうにかして別の何かに変換しようと、試行錯誤し、思い出の畳み方を間違えている。
上手くたためない。美くたためない、グシャグシャだ。そんな貴方に寄り添えたなら。
ホントは何かおかしい、と。何度も引っ張り出しては眺めなくて良い。
思いや記憶を、正しくたたみ直し、上手にしまえたなら。
それでよかったのだと。上手に仕舞えたなら。
必要となる時が来るまでは取り出す事すら忘れていてもよい。
そう。
わたしは一緒に痛いと泣く事しか出來なくともよい。
千万の本よりも、一滴の涙が理解の助けになるのなら。
それは私が泥をかぶることでもないし、被ってもいない。
私もきっと世界の泥の一部に過ぎないのだから。
歪んでいた鏡に合わせて、奇麗に映そうと歪めるのをやめよう。
歪んでいる鏡に合わせて、正しく映ろうと歪むのをやめよう。
現実と虚構の区別の付け方すら判らぬ世間ほど、現実をまるで虚構のように歪めて見ているかもしれないのだから。
差別も侮辱も軽蔑も。陰口も悪口も。軽視も誤解も何もかも。
あなたの言葉も行動も総て悪意と操作で染め替えて。
でも……。
それはそれを現実化するのが正当だと思う人がする愚行に過ぎず。
そして当然正しく見ようとする人は正しく見ようとする。
それ以上でもそれ以下でもない。
世界にあなたの中まで染めさせるな。
あなたの中にそれは一切必要のないものだ。
そして。
あなたもまた間違えている。
もしその先を見る気持ちがあるのなら。
歪んだ鏡を通して世界を写し見ている可能性に。
気付いて欲しい。
歪んで見えていることは間違いじゃじゃない。
理由のわからない何か正しさ。という愚かさを手に入れようとするのは間違いなのだと。
恐れるな。
眼鏡ですら一見正しく歪んでいるだけなのだから。
そして理解してほしい。
誰も彼もが知っていて、誰もの世界がそうあるように、
私達の世界もまた緩やかに寄り添い歪んでいてもよいのだ。
そして誰もが十分に優しいのだ。
あなたのように。
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もし、個人をAIに学習させだしたら。
見たもの、聞いたもの、拒否したもの。評価したもの、影響を受けたもの。忘却したもの。バイアス。
投稿、撮影、検索、視聴、履歴、会話、通話、行動、思考、倫理、趣味、興味、哲学、体験。
双子を超えた、情報的重ね合わせである、その存在は、ソレに合わせた状態をAIが提供しサポートにまわるだろう。
まるで自分というスタイルでも育てるかの様に、話の合う友達と並んで歩くがごとく学習させていくだろう。
自我をアップロードする前の時代とはそういうことで、
自分をアップロードするとはそういう事になるのだろう。
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GADV仮説においての素朴な素人疑問。
思考実験。
タンパク質擬似複製で2つタンパク0次構造のアミノ酸の鎖、ペプチドの腕ような部分が接合し、外部の多様なタンパク塊と衝突しながらお互いの腕を巻き取ろうとするようにアミノ酸を奪い合ったということは想定された?
リボースを作り出せるようになったらタンパク塊の保護に利用された?
不安定さゆえの表面のほどけやすさは逆に、解けて鎖として引っ張り合い、腕として繋がっていた部分に周囲のタンパク質が絡みつき進化的影響があったのではないか?
0次構造の塊の表面を引き剥がすと、アミノ酸の鎖を作れた?
タンパク質塊の表面を覆う、卵の殻のような構造が作られたか?
そのような殻の構造の一部が、タンパク0次構造表面の解けたヒモに絡みつき、読み取るように進化した可能性は?
タンパク塊内部のコアを守ることが出来れば生き延び、ほどけたもの、ちぎれた者はまた他者の塊と奪い合いが発生し、ヒモの強度が足りない部分は廃棄しての進化はあったのか?
綱引きが行われた場合、塊同士のサイズや距離と引っ張り合う紐の最適な長さや強度は、何か遺伝暗号の特性として影響に残っているか?
また自らのコアを守る為に微小なタンパク質の塊を外殻にはめ込み、補完し生存に有利なコアや、露出すると自滅しやすいタンパク質などもあったと考えられるか?
タンパク質塊の表面から引き剥がされ伸ばされた鎖部分をコピーの様に補完する仕組みが偶然にでも発生すると、タンパク塊はパッチを当てられ、生き残りやすい特性を外部環境に蓄積出来るのではと考えた。
タンパク質の進化初期段階にGADVタンパク塊が綱引きしていて、パッチを当てられたり、壊されたりしたのではないか。
恐らく端を折り返してくっつき合えば解かれずに生き残りやすかっただろうとも考えられ、
その場合アミノ酸コードとしてはジッパーの様に相互に噛み合い、また綱引きのような構造は回文の様な構造を求められないだろうか。