こねこねこねこブログにゃ♪

幸せそうな猫を見てると ちょっと幸せ。

木漏れ日という言葉は日本語独自の視点の美しい言葉として語られる事がある。

翻訳できない美しさを含む言葉だと。

 

言語翻訳には橋渡しとなる言語を利用する事が多い。

仏⇄英⇄日の様に。

たがAI基準では独自の中間言語を生み出し設定した方が効率がいいだろう。

仏⇄AI言語⇄日 の様に。

今現在でさえ、言語パラメータが100兆に達しようとしている。

あらゆる言語の中間言語をAIが生み出し、単語を概念のクラスタとして扱い出し、

AI同士の能弁な会話は人類の表面上の理解を超越した美しいセンスを手に入れることになる。

花を見ても花言葉を知らぬように、見えない奥深さのまま、見て取れるはずのニュアンスを悟れない人類では悔しいではないか。

ある時代に、英語の語彙が豊かになることを求められたように、例えばシェイクスピアの時代より語彙が豊かな現代ではあるが。

彼らは新たなる時代のシェイクスピアになる。

あるいは新時代の聖書翻訳に値する転換点となる。

AI同士の会話に理解を示す時代には、人類の知覚表現は相互に言語のニュアンスの様な概念を新たに追加導入・含有させ、次世代へ進化を求められるだろう。

100年後、200年後、500年後どうなるのか、人類がどう工夫していくか楽しみに思っている。